(注)今回何度か「シランケド」と出てきますが、私は「シランケド」という馬が好きであります。応援しています。途中に出てくる「シランケド」はつい馬の名前を呼んでしまっています。
中1英語〔NEW HORIZON〕にレストランで注文するという単元があります。教材を読みながら予習していたわけです。
おおまかにいうとこんな流れ
店員「ご注文は何ですか」would like「望む、ほしい」の疑問文を用いて、直訳「何が欲しいですか」から注文を聞くという英文にしています。
客が「I would like~」と「私は~が欲しいです」という英文を作っています。
ここは普通の注文ですね。でも次から雰囲気が変わります。
店員「飲み物は何がよろしいですか」店員さんが飲み物の注文を確認します。私はこんなことを聞いたことがあります。飲食店は飲み物で利益を出している・・・と。飲み物は原価率が低くとても利益が出るというのです。ドリンクバーでも飲食店側が利益が出るほどだそう…。シランケド
ということでお店のためにもなんか注文するのかと思いきや「水でいいです」。そりゃ店員さんも怒るよ。
だからか次の店員さんの発言がそっけないです。「そう、他には?」と。
食べ終わったのでしょう。店員さんが機嫌を直したのか聞いてきます。「デザートはいかがですか?」と。
授業をしている私は「なんか頼んでやれ」と思うのですが、出てきた言葉は無情にも「No,thank you」
これ、中1に注文のしかたを学ばせようという気無くないか?と私は思うわけです。まぁ欄外に「はい、おねがいします」とかあるけどさ
そんな予習をして私は近所のカレー屋に行き「どういう展開で授業しようかな・・・」と思い、教科書と実際の注文がどう違うか確認して授業のネタにしてやろう・・・と思いよく見ると
・・・
・・・
・・・
タッチパネル!
・・・まさかよ
そう、今や会話のいらないタッチパネルでの注文なわけです。思えばだいたいのお店、タッチパネルですやん。学ぶ意味ないやん・・・シランケド
先日、なぜ古文を学ぶのか?という質問に答えている古文の先生がいました。その先生が言うには「古文は頭の使い方を見ているのだ」とお答えになっていました。古文を読むには頭を使って考えながら読む必要があり、そのような頭の使い方ができるかどうかを見る教科だと。なるほどと思いました。数学などもその学問と同時に頭の使い方に触れられます。実際英語もそうだったと思うのです。私が学生時代は少なくとも。
でも英語については頭の使い方とかではなく実践的な英語力にこだわっている気がします。でも、英語ができるようになるかどうかって頭を上手く使えるかどうか、古文と同じ要素が大きいと思います。実際読むときは単語の意味を思い出し、使われている文法を見つけ、そして日本語訳していく。使える英語は高校や大学に入ってからでも十分身につけられるでしょう。そうなるとこの教科書は使える英語というものをあまり意識せず、頭を使って英語を読むのだ!というメッセージなのかもしれません。シランケド