大学時代にボート部に入っていたわけですが、冬の間は活動が陸上トレーニングなど中心の地味な活動になります。
その冬の間を利用し一年間の活動費を稼ぐために12月は練習がほとんどなくバイト期間になていました。そのとき私は余市にある「堀内水産」という水産工場でアルバイトをしていました。昼食支給ありの日給6000円。
小樽市塩谷にもその工場がありそこに集合し車に乗り合わせて出勤です。運転手が残業するといえばその人にあわせて残業しないと帰れません。そんなお仕事でしたがそこは数の子工場でお正月用の数の子を作っていました。
主な仕事は朝に冷凍車でたくさんの箱詰め数の子が届きます。それは「凍結」と呼ばれた一番寒い冷凍庫に入れます。それと同時に前日まで届いていた数の子を出します。その数の子は塩水につけられ解凍されます。数の子にはいろいろな種類があるんです。たれに漬けられた数の子、塩味だけの数の子。松前漬けに利用されたり、つぶ貝とあわせられたり。解凍された数の子が大きなケースに入っているのでそれをそれぞれのところに運びます。
それを運んでいるときに、毎年中2の電気のところでお話しする「高塚感電事件」が起こるわけです。
ある時、数の子を運んでいたわけですね。その工場は水産工場ですから床は常にびしょぬれ状態です。またあちこちで機会を利用しているので天井からコンセントがぶらさがっています。その作業中に私は足を滑らせてしまい、ついぶら下がっているコンセントをつかむわけです。ぬれた手で。
体をズシンと何かが通り過ぎていく感じがしまして一瞬で手が離れました。ほんとに一瞬だったので大丈夫だったのだと思います。それでも衝撃があったので立ち止まっていると、よく一緒にお仕事をしていたおばあちゃんが台車にかずのこを載せてゆっくり歩いてきます。
「あら、高塚君どうしたのさ」と言われ「思わずコンセントつかんだら感電しました」というと「こんなの大丈夫だよ」っておばあちゃんはバンバンつかみながら歩いていきました。そこで高塚の体は当時はぴちぴちだから電気が流れやすく、おばあちゃんの体はたぶんかっさかさだったから流れなかったんだろう・・・と抵抗の話につなげる・・・そんなお話しです。
お昼ご飯はお弁当とカップ麺が支給されたりなかなかに待遇よく使ってもらえました。時には製品の数の子を「試食」という名目で食べさせていただき、それが本当に美味しいものであり感動してしまったことも覚えております。
仕事納めのときは数の子運びにつかっていた大きなケースを工場の隅に積み上げるという作業があったのですが誰かが上に上がり下から送られる箱をつぎつぎに重ねるという一歩間違えたら死ぬという作業がありまして高所恐怖症の私は当然外してもらえると思っていたらじゃんけんで負けたんだったか忘れましたが上担当になり、「あっこれで死んじゃうな」って思いながらお仕事していました。
上記のニュースでは工場名が出ていないので私がお世話になった「堀内水産」さんかどうかわからないのですが、どこの工場であってもおなじ余市の水産工場で働かせていただいたので心配ではあります。もう30年も前なのでおそらく当時の方々はあまり働いていないと思われますが元気でいらっしゃるかなあとその前を通るたび思います。